旧白洲邸、武相荘に行ってきた

久しぶりに、カメラ片手に出かけてきました。

この夏は暑すぎて、行動する気力が湧かずに、基本的に家でウダウダと横になって唸っておりました。

例外的に、一度だけ、日帰りでサッカー観戦に出かけました。

約ひと月前、夏真っ盛りの7月下旬に、神奈川県の川崎市まで。川崎フロンターレ対V・ファーレン長崎の試合を観るために。長崎出身の友人と、V・ファーレン長崎のJ1での勇姿を応援するために。

試合開始は19時だったため、ただサッカーの試合を観るためだけに神奈川県の川崎市まで遠征してとんぼ返りというのもキツイので、試合観戦の前についでにどこかに寄っていこうという話になり、そこで浮上したのが、旧白洲邸、武相荘(→旧白洲邸 武相荘)だったというわけです。

武相荘は東京都町田市にあるので少し外れるのですが、地元と等々力陸上競技場の中間といえば中間なので問題なし。

ちなみに、旧白洲邸とは、第二次世界大戦後、GHQとの折衝に尽力した白洲次郎と、その夫人・正子が暮らしていた家のことです。恥ずかしながら、私はまったく知りませんでした。こんな素晴らしい人物がいたんだと、目からウロコの思いでした。

以下、旧白洲邸HP(→白洲次郎 | 旧白洲邸 武相荘)より引用します。

第二次世界大戦にあたっては、参戦当初より日本の敗戦を見抜き鶴川に移住、農業に従事する。戦後、吉田茂首相に請われてGHQとの折衝にあたるが、GHQ側の印象は「従順ならざる唯一の日本人」。高官にケンブリッジ仕込みの英語をほめられると、返す刀で「あなたの英語も、もう少し勉強なされば一流になれますよ」とやりこめた。その人となりを神戸一中の同級・今日出海は「野人」と評している。日本国憲法の成立に深くかかわり、政界入りを求める声も強かったが、生涯在野を貫き、いくつもの会社の経営に携わる。

今回も、カメラはCanonのEOS 8000D、レンズはシグマの単焦点30mm F1.4。いつもどおり。この組み合わせで撮ってきました。

aifeel.hateblo.jp

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閑静な住宅街のど真ん中に、ポツンと時代に取り残されたかのように、物静かに佇んでいました。白洲家の生活を彩っていた調度品や蔵書も、興味深く拝見させてもらいました。

落ち着いたのどかな空間に時折、PLAY FAST(さっさとやれ)と過激なメッセージが掲げられていたギャップが面白かったです。雰囲気にまったくそぐわないのに、すっと素直に入ってくる不思議な説得力がありましたね。

ゴルフが好きだったそうなので、プレイ・マナーに自分の信条と重なるところを感じていたんでしょうか。

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ショップで販売されていた雑貨が素敵だったので、思わず買ってしまいました。うちわと文庫本カバー。ちょっと高かったんでだいぶ迷いましたけども。

今まで知らなくてごめんなさいという、懺悔も込めまして。

心地よい時間が流れる、素敵な建物でした。

武相荘を後にして、メインの目的地である等々力陸上競技場を目指すにあたって、道がややこしそうだったのでグーグル・マップのナビを頼ったのですが、裏道を駆使して余計に面倒くさい道ばっかり案内されたので、大通りに合流したタイミングで案内を切り、自分で地図を見て道を選びながら走りました。

もうグーグル・マップの道案内は懲り懲り。やっぱり自分は地図派だと再確認。

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大人の日帰り旅 名古屋・東海 vol.2 (JTBのムック)

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